関東ゴルフ連盟も富里閉鎖を惜しみました。

ありがとう。
そして、さようなら富里GC。
関東ゴルフ連盟(KGA) 主催の決勝、予選競技の会場として、数々の選手を見守ってきた千葉県・富里ゴルフ倶楽部(以下富里GC)が、成田国際空港の拡幅に伴い、12月31日で閉場する。
KGA主催競技では、2006年の関東シニアゴルフ予選以降、関東女子ゴルフ選手権、関東ジュニアゴルフ選手権(男子)、関東シニアゴルフ選手権の各決勝会場になるなど、月例競技を含めると22回もの競技会が富里GCで開催されてきた。
中でも、ジュニア部門では、KGA杯ジュニアゴルフ大会が、今年の「女子の部」まで6年連続(新型コロナで中止の20年を除く)で開催され、男女のジュニア選手を鍛える役割を果たしてきた。
2017年に行われた関東女子ゴルフ選手権決勝の出場選手は、華やかな顔触れだった。優勝した吉田優利選手は、その後、トッププロに駆け上がり、2位の小滝水音選手も今年、プロツアー競技で初優勝を果たした。4年後のプロテストをトップで合格した佐久間朱莉選手、今年11月のプロテストで合格した本明夏選手、河村来末選手、神谷和奏選手など、実に16人もの女子プロツアー選手を送り出した選手権だった。当時、中学生だった岩井ツインズの妹、千怜選手も、53位タイに入っている。それぞれが、富里GCの厳しいコースに挑み、成長していった。
東京グリーン富里カレドニアン株式会社の早川治良会長が、世界最高レベルのコース造りを目指して、富里GCを開場させたのは、1989年。名設計家のマイケル・ポーレット氏に依頼して、後のコース造成の手本となるワングリーン、リンクス型のコースが誕生した。
うねったフェアウェイとグリーンに加え、要所を締める白砂のバンカーと池。こうしたハード面だけでなく、メンテナンスでも高い技術を誇り、富里GCと翌90年に開場した姉妹コースの力レドニアン・ゴルフクラブは、超高速グリーン時代の先駆けとなった。猛暑となる日本では、ベント芝の高速グリーンは無理と言われていたが、「グリーンは心臓」という早川会長の信念からだった。また、両倶楽部には、バンカー専門の要員がいて、常に砂の補充、メンテナンスを欠かさない。今年の関東シニアゴルフ選手権決勝最終日。富里GCは、前夜からの豪雨に見舞われて多くのバンカーののり面が崩れたが、あっという間に修復されたのは、日ごろの作業、努力を積み重ねてきた成果だった。
当日、自らバンカーの修復作業に加わった座間英二・富里GC常務取締役支配人は、「早川会長から「何のため、誰のためにゴルフ場はあるのか」と問われ、大会時だけでなく、普段もジュニア選手に開放してきました。稲見萌寧選手や馬場咲希選手、地元の中高生たちも、ここで腕を磨いてきました」と話す。
関東ゴルフ連盟の内藤正幸競技委員長は「点で狙っていくティーショット、平らな所がないフェアウェイとグリーン、様々な技術が求められるアプローチなどを通じて、世界に羽ばたいていく選手をコースに育ててもらいました」と言う。さらに「競技によって様々なセッティングができ、私たち競技委員もこのコースに鍛えられました。また、いつも最高のコンディションの下、競技を運営することができました。心から感謝を申し上げます」と続けた。
「感謝」。これは、富里GCでの競技に関わった全員の思いだろう。
(広報委員高岡和弘)

KGAゴルファーズニュース2023年冬号No142 32頁掲載

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